対比

日曜日に飴が降る

愛という現象

まどろっこしい文章を書きたいわけじゃないのにたくさん前置きをしないと不安だ、曖昧な知識で何かを語ることに抵抗があるため。

といいつつ何年追いかけても半可通のままなのもわかっているので、諦めていま思っていることを順番に書いてゆけばいいのではないか。

とはいえ、現在ものすごいスピードであらゆるものを摂取しているので諸々が追い付かない。何もかもが今更なことであるのに、何から書けばいいのだ。

 

今まで何度も話題に出して消費していた上で、歌う姿も踊る姿も見て消費した上で、特に興味を抱かなかったものに突然目が行ってしまうと驚く。もう本当にこれに尽きます。

サマパラ2016聡マリソロコンにおいての松島聡の、いちばん始め登場した瞬間のステッキを持つ肘が光って見えたくらい美しいという話? 『ぶつかっちゃうよ』のケンティーと聡マリの比較? 息抜きに見た関ジャムの丸ちゃんと大石さんに手を振ってしまったこと? 鉄腕ダッシュがもはや横山さんの番組みたいで傾げた小首の角度? ああ、わがまマンガでのたうち回ってしまった話もいいですね。

 

中島健人ってすごいよなあ、と思う。あれは愛という現象なのじゃないか。誰も傷つかない優しさと、丁寧さ。それらの、おそらくは仕事で覚えていったのであろう実践的な塩梅。

最後ドライヤーで静かに応戦するという手段の選択の完璧さ、もう画面いっぱいにかわいいが広がっていて、ケンティーとよしこに拍手を送りたくなった。「傘で突かないで」とフォローを入れた千鳥ノブも含めて、なんて優しく誰も傷つかない空間だろうって唸っちゃった。

 

このあたりで話は大いにそれる。ケンティーへの尊敬に戻るはずの話題です。

 

 

愛を惜しみなく注ぐことの難しさは、愛を恐れずに受け取れるか否かにあるのではないか、と思う。

もちろん数多くの例外があって思ったようにゆくものではないけれど、原則として、愛を注げば愛が返ってくる。

つまり、惜しみなく愛してしまうとどうなるのか。愛されてしまうのだ。

 

愛されることは愛することより難しいなと感じている。

愛することはひとりでできる。見えないものこの世に存在しないもの身近な生身のにんげん、どんな対象を愛すにしたって、愛することはひとりでできる。

ひとつの点から矢印を引くこと、愛するってそんな感じだ。

 

そして、ふたつ目の点になること……その矢印の終点が自分にあると自覚すること、それが愛されることだと思う。

愛されることには覚悟がいる。

矢印の存在を否定しない、自覚的に矢印の終点になる、矢印に載せられた感情を受け止める、向けられた様々な感情を許す。これはひとりではできないことで、覚悟の連続じゃないですか。

 

愛されることは巨大な感情を相手取ること、一般人はたったひとりからの愛さえうまく受け取れなかったりするから、「本気にしてマジウケる」だとか冷笑的に対応してやり過ごしたりしているのじゃないだろうか。

ひとをむやみに愛してはいけないのは不誠実だからではない、きっと自分が消耗してしまうからだ。いや、注いだ愛が返ってこなくて消耗しちゃうのも確かによくあることだけども。

 

 

愛されることを恐れない職業の最たるものがアイドルだと思う。

しかも不特定複数の矢印を継続して受け続ける、文字通り矢面に立ち続けている。これは恐怖ですよ。でもそれを幸福だと言って笑ってみせるから、それだけでアイドルは充分美しく浮世離れしている。

 

ソロコンで、たくさんの愛が書き綴られ貼り付けられたうちわの海に飛び込んでゆく姿は誰をとっても美しくて震えてしまった。熱烈な愛の言葉の海に身ひとつで飛び込んでゆく姿は、にんげんではないもののようだ。

 

 

 

でもケンティーに対して、特に強くこの類の畏怖を感じてしまうのはどうしてなのか、正直まだわかっていない。ただ、めっちゃ愛してくるし、何より愛されることへの覚悟が大成してるなあと思う。

Love Ken TVなんてあちらから向いてくる愛が痛いとさえ感じちゃった。生き急いでいるのかもしくは走馬燈なのか(もちろん編集のせいもあるんだろうけど)、もうケンティー別の次元に上昇しちゃうんじゃないかと。不特定多数に向けられた「愛してる」がこうも苛烈に感じられたことってない。なんだろうな、なんなんだろう。

 

うーん……あれは愛する天才が同時に愛される覚悟もできていたので起こり得えてしまった現象なのではないかと推測していて、そしてこのあたりで「ケンティーは愛という現象なのじゃないか」という問いに戻ってきます。

 

愛という漠然とした単語を多用するのは宜しくないな。できればもう少し具体的に明言化してゆきたい。

そして、ケンティーが愛という現象なのかどうか、もう少しのんびり見てゆけたらいいなあ。見たいなあ。そんな風にぼうやり考えています。