対比

日曜日に飴が降る

BETTERFLY EFFECT - 過去からの接続

(以下は2月21日に投稿しようとしてやめた記事です、時系列の狂いはそういうことです)

  

読み返してみたけれど、どうしてこうも肩に力が入った文章になってしまうのかしら。恥ずかしい。
 
関ジャニ∞『crystal』PV一部解禁になりましたね。鉱物のきらめきとダンサブルなデジタルの音色、天然と人工の対比が素敵です、フルで聴きたいな。
昨日久しぶりにエンターテインメントのDVDを少し見てたんですけど、煮詰まる息苦しさがない安心感があって。好きだなあと思いました。

書くことが思いつかない、というか何を書いてもたぶん文章が固くなる。
誰が見ているでもないのだからもっとふにゃふにゃ書けばいいのにね。


さて、ブログ記事をまだ5つも上げていないのに、初心を早々に変えようかと思う。
ポルノグラフィティの話をします。
それも『BUTTERFLY EFFECT』という、2017/11/17から2018/04/29まで行われたホールツアーの話をします。

 現在彼らは『UNFADED』というアリーナツアーを回っている最中なのだけど、ポルノグラフィティはネタバレに厳しく、ツアー終了まで内容をばらすことは禁止する旨が公式でアナウンスされている。
今回のツアーは初日に行ったのだけれど、初日に行って入る本数を増やした。増やした事実さえわたしは隠していた。わたしを知る方からしたら「あいつが増やすほどよかったということは……?」と方向性に関して予測が立つ。
まっさらな気持ちで見た初日の「嘘でしょ、うそでしょ、まだやるの」という感覚がとてもよかったから、言わないようにしていた。
 
さて、『UNFADED』は全15公演のツアーなのだけれど、当初3公演の予定だったというのに、初日を見たら居ても立ってもいられなくなっちゃって、結局8本になりそうです。このツアーに過半数入ったという事実があれば、それだけでこの先大丈夫なんじゃないかって気がしちゃったんだよ。

ちなみに残りは徳島、福岡、横アリ×2、三重×2の全6本で、あと1ヶ月ほどで終わります。そのときに何かを話したくなってもいいように、昨年2018年のポルノグラフィティの話をしたいと思う。
『BUTTERFLY EFFECT』は同タイトルのアルバム(2017/10/25リリース)を受けてのレコ発ツアーにあたるのだが、これがまたとてもよく、ツアー中に吐き出す先のないメモを書き殴った。去年の3月のことらしい。
その書き出しでは、「前回のツアーの話をする必要がある」といさらにもう1枚前のアルバム『RHINOCEROS』のレコ発ツアーである『The dace are cast』の話から始めていた。
物事には順序や成り行きがあるもんねえ。

 ここまで書いて、その文章に今から書きたいことがまとめられている気がしたので、掲載しようと思います。自分のための走り書きなので説明不足も過剰も大いにあります。
 


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今回のツアー『BUTTERFLY EFFECT』に変に執着をしてしまっている。そのことを少しまとめたいと思う。
 
まず、前回のホールツアーダイキャスに少し触れなくてはならない。あのツアーはホールツアーとして、あるいはレコ発ツアーとしてあまりに優れていた。あの『瞳の奥をのぞかせて』は凄まじいという言葉以外でどう表現したらいいのかわからないくらい凄まじく、美しい瞬間だった。
武道館公演しかチケットが確保できていなかったわたしに、初日公演に行った友人は「どこでもいいから地方を取れ、ホールを取れ、武道館だけでいいわけがない、一刻も早く取れ」と珍しく助言をした(今更彼女とポルノの話をすることは少ないのだ)。それで慌てて仙台を取って、彼女の言いたいこと総て納得したし、まさかの2列目センターという座席で本当に大変なことだった。

 
ダイキャスは多幸感があった。それはまず『RHINOCEROS』というアルバムがどうにもならないくらい傑作で、それのレコ発だったからというのもある。正直タイトルの段階ではふーんって思っていたし、パノラマポルノのリリースのときのふーん→まあよくも悪くもないよね、という感覚がまだ記憶に新しかった。ポルノグラフィティに関して、「ふーん」はたびたび覚えるもので、それを「ふーん」で流せなくなったときにわたしは一度破綻したので、そういったネガティブな感情を認めることにした。そして、その感情の期待を上回らなくとも「裏切られた!」などと感じることのないようにした。ずっとそうしてきた。
でもライノセロスは期待を遥かに上回ってしまって、それはもとの期待値が低かったからなんだろうけれど、それでも未だにいいアルバムを作ってくれるという喜び、それが10枚目という喜びが強くて、もう。個人的には新藤晴一作詞作曲の『ANGRY BIRD』から始まり、新藤晴一作詞作曲の『ミステーロ』で終わるという流れも嬉しかった。そして、何が嬉しかったって作詞作曲が誰かを確認する前から、その2曲がものすごく好きだと思ったことだ。好きだと思って、クレジットを見たらどちらも新藤晴一だった。嬉しかった。このひとわたしの好きな曲作るんだと思って嬉しかった。
『ミステーロ』はもう少し違う思いもある。あれの曲は新藤晴一の大好きなモチーフを詰め込んだ、すごく彼らしい歌詞だと思うのだけれど、あの言葉たちを呼んだのは彼が作ったメロディーなのだということ。あのメロディーを新藤晴一が自分で作って、そこにあの歌詞を乗せたこと。純度の高さというか。この曲の完成はとても感動的なことだと思う。思っている。だからライブでも美しい流れで披露されて嬉しかった。流れで聴いて引っかかる部分のない、本当にちょうどいいアルバムだ。ライノセロス。
 

バタフライエフェクト微塵も触れていないのに10分経ってしまったよ。
以下、今回のツアー『BUTTERFLY EFFECT』の感想文です。

 
まずオープニングVJ。ポルノのホール公演で印象的なのはSWITCHツアーの春(秋は行けていない)なのだけれど、あのときは客電が落ちずにメンバーたちが登場した。今回は逆。ステージを覆うようにしていた斜幕をスクリーンにしてずっとVJと世界観に沿ったSEが流れている。縦長の斜幕4枚が横並びになっていてステージ全体を覆っている。そこに映像が投影されている。客電が落ちる前からほんのりとステージ上の照明がつきはじめ、客電が落ちてからもVJやSEは途切れることなく、その流れを汲んだまま2人のシルエットが投影される……という演出。

 シルエットが登場し、ふわっと明かりがついておふたりの姿が見えるところから始まる『夜間飛行』。たまに蝶のようなかたちになったりするあぶくがずっと上から下へと流れてゆき、最後のサビの前でブワッと下から上にゆく。上昇、浮遊するところからこのライブは始まる。幕を隔てた向こうにいるおふたりと一緒に、現実から遠いところへいくところから始まる。その後2曲目の序盤、VJが投影されたままの斜幕が半分持ち上がり、舞台の上半分を彩る。その後もスクリーンとして機能しつつ、使われたり使われなかったりする。
今回のツアーは紗幕の使い方が美しすぎて、おそらく今までのポルノグラフィティ史上最高だということが、まずこのツアーの素晴らしさのひとつだ。演出が最高だ。

 『ワールド☆サタデーグラフティ』でもう一度紗幕が使われる、ここでは4枚の紗幕の長さが少しずつ変えられており、迷路というかパイプというかネオンというか……ああ、昔のスクリーンセーバーであんなのがあったような気もするな。あれの動きが映える。選曲もシンプルに嬉しかった。懐かしいし楽しい。ちなみに甲府公演では最後のサビの歌詞を間違えていた気がする、そこは『せめて夢の中で遊びましょうか』だよ。

そしてアルバム新曲ゾーンもまたVJが美しかった。特にアーチ状というか、4枚の幕のうち両端のものが下まで、中央2枚が上部で止まるあの曲は素晴らしかった。このVJについてはもう少し時間を割いて話がしたい……と思ったけど割くほどのことは語れないな、とにかく好み。

 
そのVJが終わり、曲の流れを汲んだアウトロからの暗転、からの、岡野くんのターン。ひとりお喋りと弾き語り。
ここに関しても思うことはたくさんあるけれど取り急ぎ割愛。
さて、岡野昭仁のターンが設けられたということは、もうその時点でどうしようもない予感が酷いのだ。正直最初の公演はその予感で具合が悪くなっている部分もあった。新藤晴一のターンが、ないわけない。案の定、岡野くんが暗転しながら捌けたのち、それは始まった。詩の朗読。
ちなみに覚えてしまったので書き残しておこうと思う*1、漢字の変換は多少怪しいところもあるが答え合わせの日は近い。スクリーンに投影される詩を何度も眺めた。着眼点が好きだと思った、しんどうはるいちだと思った。
朗読後、するりとギターインストに入り、しばらく演奏。そして岡野くんがギターを持って現れる。そのまま、また詩の流れを組んであの曲の歌詞が流れ、岡野くんがアカペラのような状態で歌い始める。

つきをかうのとまよなかに。

きっと、いま最も神格化されている曲のうちの1曲なんじゃないだろうか。それを、脈絡もなく、唐突に18年目のポルノグラフィティが演奏した。アルバムのレコ発ツアーで。
ああ、好きになったときのしんどうはるいちがいる、と思った。いまでも好きだけど、わたしが好きになったときのしんどうはるいちだ、と。
このひとはこういうことをまだ性懲りもなく書いてしまうひとで、書けてしまうひとで、できる上でこの部分を使わないで歌詞を書いていたりするのだと思って、それが本当に嬉しかった。本当に今だってしんどうはるいちが好きだけれど、あの頃のしんどうはるいちもとても好きでいることを肯定されたような気持ちになった。一時期、あのしんどうはるいちを無理やり探し続けていて、うまく見つけられなくて、振り返ればほとんど暴言みたいなことを書いていたように思う。でもあのしんどうはるいちは死んだわけじゃなかったよ、たぶん、しんどうはるいちは違う挑戦をしていただけなんだよ。思春期の1年2年はあまりに長くて見守ることさえできなかったけれど、今ならどういうことなのかある程度わかる。

好きになったときの、例えばPATiPATiで表紙をやったときのしんどうはるいちがいた。そのまま『月飼い』をやった。掻い摘むとこうだ。

そこから続く『Part time love affair』、最近の曲だ。ほのかに甘いけれど悲哀の色の濃い空気は綺麗に引き継がれ、滑らかに現在へと接続する。
その後、終盤では『ギフト』が入ったが、これがまたどうしようもなく泣けた。わたしは『ギフト』の歌詞はとても「らしい」歌詞だと思っていて……具体的に言えば「最初に空を飛んだ鳥は翼を広げた格好で/どのくらい助走をつけて地面を蹴ったんだろう」の部分。あれ、とてもらしいなあって。『Search the best way』や『鯨』でも使われている、彼の好きなモチーフなのだろう。『ギフト』でも歌詞がスクリーンに投影されるのだけれど、その部分を見た瞬間に、2003年から2017-18年の接続が本滑らかに済んだ感じがした。

あの頃好きだったしんどうはるいちは、いま好きなしんどうはるいちと同一人物である。
すごく当たり前のことだったんだけど。そりゃそうなんだけど。
過去の気恥ずかしい自分のことも許せる気がした。影響されまくった小恥ずかしい頃の自分、否定も肯定もしないで見て見ぬふりをしていた。あの頃のことは恥ずかしくて表に出せないと思いながら、実際はあの頃の自分のポエミーな感じも嫌いではなくて、なんかもう上手く言えないんだけど全部がオッケーな気がした。そんな風に現在に接続されたら、過去を引き合いに出す気も起きない。過去と比べて何かを話すのは野暮ったすぎる、わかっていたことをはっきりと体感した・理解したという感覚。それが、バタフライエフェクトツアーでわたしが得たとても幸福な感覚です。ずっとそれを実感したかったのではないかとさえ思いました。

 いままでもたくさんいいライブはあったし、嬉しいセトリはあったけれど、たぶん実感をしたかったんだと思う。自分でも具体的に自覚できていなかった欲しかった感覚を、まっすぐ撃ち抜かれる心地よさったらなかった。今後また好きでいられなくなるときが来ても、今回この気持ちを覚えたことは嘘じゃないし、この気持ちを覚えたという事実があればどうにでもなると思う。今まで縋るように2005年06月19日、つまり春SWITCHを思い出していたように、今回のツアーは今後何度も思い出すのだろうなと思った。

バタフライエフェクトは、過去と今を接続するライブとして、とても優れている。18周年のいま、20周年を見据えた時期にこの公演をやるということの完璧さ。触れそびれたがアルバムもタイトルが出た段階では「ふーん」だったが、聴いてみたら満足のゆくものだった。全部が好きなわけじゃないけれどとても好きな曲がある。それで充分じゃないですか。全曲を心底愛せることなんてねえ、叶うことではないんですよ。もうわたしはなんでも受け止めて「好き」の基準を作っていたあの頃の自分ではない、それくらいわかっているし、わかっているので哀しくなったりもしない。

お互いに大きくなったよね、歳を取ったよね。これからも、都合よく近くに寄ったり、好みじゃなかったら距離をおいたりしながら、好きでいたいなあと思う。たぶん、そういう「好き」でも誰かに軽んじられたりはしないだろうし、何よりそういう自分を許してやろうじゃないか。

*1:このとき書き留めていた該当の詩の掲載は控えました